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幻想的な世界から浮かび上がる謎と違和感の考察『銀河鉄道の夜』宮沢賢治(著)

こんにちは、ぽっぽです。

229冊目はこちら↓

『銀河鉄道の夜』宮沢賢治(著)

「内容は把握しているけれど、きちんと最初から最後まで読んだことがない本」は一体どのくらいあるのだろう。

と最近ふと思うことがありまして。

その時まず思い浮かんだのは『銀河鉄道の夜』でした。

ということで今回は、いくつか収録されている物語の中から表題作『銀河鉄道の夜』について感想を書いていこうと思います。

核心に触れながら気になった部分に焦点を当てていくので、いわゆるネタバレありです。

結末を知らない方やこれから読もうと思っている方はご注意ください。

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本の概要(あらすじ)

「どこまでもどこまでも一緒に行こう」

この物語の主人公は、孤独な少年・ジョバンニ。

病気の母親と暮らしており、漁に出たきり帰ってこない父親を待つ毎日。

家は貧しく、ジョバンニは学校帰りに活字拾いをして家計を支えていました。

学校では父親のことでからかわれ、親友のカムパネルラとも距離ができてしまったまま。

ジョバンニの心は、いつでも寂しさでいっぱいでした。

その日はケンタウルス祭というお祭りの日。

しかし、牛乳がまだ届いていないことに気づいたジョバンニは、母親のために牛乳屋へと駆け出します。

その途中で祭りを楽しむ同級生たちと遭遇してしまい、ジョバンニはひとり孤独な気持ちを抱え、牧場のある丘へと向かいました。

すると突然、不思議な出来事が。

気がつくと、ジョバンニは銀河鉄道の中にいたのです。

前を見ると、そこには親友のカムパネルラが座っていました。

窓の外には美しく幻想的な風景が広がり、二人はそのまま銀河の中を列車に乗って旅をすることに。

その途中で出会ったのは、鳥を捕まえる商売をしている”鳥捕り”や、沈没船に乗っていたという姉弟。

不思議な人たちとの出会いと別れを繰り返しながら、銀河鉄道はいよいよサウザンクロス(南十字)に到着します。

乗客は皆下車してしまい、列車に残されたのはカムパネルラとジョバンの二人だけ。

しかしカムパネルラも、ジョバンニと「ほんとうの幸とは何か」について話をした直後、突然姿を消してしまいました。

もといた丘で涙を流しながら目を覚ましたジョバンニ。

彼はその後、カムパネルラが同級生のザネリを助けるため、川に飛び込んだまま戻ってこないことを知ったのですーー。

この本を推したい人

本書はこんな人たちに推したい本です↓

  • 銀河鉄道の夜を読んだことがない方
  • 名作にチャレンジしてみたい方
  • いろんな解釈を楽しみたい方

本の感想

今回は感想を以下の4つの括りでまとめていこうと思います。

  • 興味深いところ
  • 引っかかった部分
  • 違和感のある場面
  • 印象に残っている描写

いくつかの疑問や違和感などから独自の解釈が生まれていますが、あくまでこういう感じ方もあるんだくらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。

興味深いところ:物語の世界観

てっきり純和風な童話だと思っていたのですが、読み始めて感じたのはもしかしたら舞台は日本ではないのかな?という疑問。

(実際には宮沢賢治の出身でもある岩手県=イーハトーブがモチーフになっているようです)

そう感じたのには次のような理由があります。

  • ジョバンニ、カムパネルラという名前
  • いくつかの違和感のある台詞
  • キリスト教の象徴である十字架
  • タイタニック号の沈没

まず「おや?」と思うのは主人公たちの名前ですが、読んでいくとその他にも違和感が出てきます。

噛み合わないような会話や独特な言い回しはいくつかありますが、特に違和感があったのは次の二つの台詞。

「ああきっと一緒だよ。お母さん、窓をしめて置こうか。」
ああ、どうか。もう涼しいからね」

「も少しおあがりなさい。」

鳥捕りがまた包みを出しました。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、

ええ、ありがとう。

って遠慮えんりょしましたら、鳥捕りは、こんどは向うの席の、かぎをもった人に出しました。

この中で何が引っかかったのかというと、母親の「ああ、どうか」という返事とジョバンニの「ええ、ありがとう」という断り方。

これ、すごく直感に反する言い回しな気がしてとても印象に残っています。

「そうね、お願い」とか「いいえ、結構です」という言い方の方がしっくりくる気がして。

意図は分かりませんが、この辺りの日本語的に不自然な台詞が面白いなと感じました。

続いて十字架の描写ですが、これはキリスト教の象徴そのものですよね。

日本が舞台なら仏様や仏教にちなんだものが登場しそうですが、これはあえて日本人の死生観から離れたところで生死を表現したかったからなのでしょうか。

(宮沢賢治は法華経を信奉していたようですが、キリスト教の思想にも魅力を感じていたと言われています)

そしてタイタニック号の遭難。

ジョバンニたちが乗る銀河鉄道に、途中「氷山にぶつかって沈んだ船」に乗船していた三人の姉弟と家庭教師の青年が乗車します。

作中で明記はされていませんが、これはおそらくタイタニック号のことかと。

なぜタイタニック号の遭難をこの物語に取り入れたのかは分かりませんが、私は「自己犠牲」という部分でカムパネルラの死とのリンクを感じました。

途中で出てくるサソリの話もこれに繋がるところがあると思います。

ただこの物語で描かれている自己犠牲には、「誰かのために”死ぬ”こと」ではなく「誰かのために”生きる”こと」という意味が込められているようにも感じられました。

そしてこの場面が、おそらく物語の展開を予期させる大きな転換点でもあるのではないかと。

幻想的な世界を走り続けていた列車ですが、彼らの乗車がその向かう先にあるものを想像させ、胸をざわつかせ始める場面でもありますね。

実際には宇宙空間とイーハトーブを融合させて創造された世界だと思いますが、どこか洋風な雰囲気も感じる不思議な世界観でした。

引っかかった設定:なぜジョバンニは銀河鉄道に乗れたのか?

私はこれについて三つの考えが頭に浮かびました。

まずは一つ目の解釈から。

これはこの中で最もネガティブな考え方なのですが、それは「ジョバンニの心が生より死に向かっていたから」というもの。

積極的に死を望んでいたわけではなさそうですが、彼の置かれている状況はなかなかに過酷なんですよね。

同級生からはいじめられ、母親は病気、父親は不在、同級生たちが遊んでいる中必死にアルバイトをして家計を支え。

子どもらしく大人に甘えることも頼ることもできず、学校にも居場所がなく、彼はとても孤独だったのだと思います。

実際に彼は銀河鉄道の中で、胸の内をこのように漏らしていました。

ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。

こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。

こういったジョバンニの暗い感情が、死後の世界へと導く銀河鉄道とリンクしたのではないかと思いました。

そんなネガティブな解釈を振り払い、続いて考えたのは「カムパネルラの強い想いがジョバンニを銀河鉄道へと導いた」という解釈。

最期のひとときを親友であるジョバンニと過ごしたいという想いが叶ったという解釈ですね。

もしかしたら、親友でありながら孤立しているジョバンニを救えなかったという後悔もあるのかもしれません。

と、最初はこう考えていたのですが、もしかしたら逆なのかも。

カムパネルラではなくジョバンニの親友への強い想いが彼を列車に乗せた」という解釈でもしっくりくる気がしてきました。

そして最後の解釈。

銀河鉄道は死者を天上へと導くための列車だという認識なのですが、これだけだと説明がつかない部分があるんですよね。

それが死者ではないジョバンニと、途中で登場する鳥捕りの存在。

鳥捕りに関しては謎だらけなのですが、どうやらジョバンニのように死者ではないような気がするのです。

このことから、私は銀河鉄道には死者を導く以外の目的もあるのではないかと考えました。

具体的にこれと断定するのは難しいのですが、しいていうなら「理想」あるいは「希望」でしょうか。

ジョバンニに与えられた”どこまでも行ける特別な切符”というのはつまり、列車に乗ってどこまでも理想を追いかけ続けることができる切符なのではないかと。

そう考えると死者ではない彼が切符を、しかも最上級の切符を手にしていた理由にも納得がいきます。

おそらくジョバンニの”理想”は、カムパネルラとどこまでもどこまでも一緒に行くこと。

ですが、同時に彼は「ほんとうの幸(さいわい)」とは何かについても考え始めます。

そして最終的に彼が選んだのは、みんなのほんとうの幸を探しに行くことでした。

「僕もうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

この言葉通り、彼はカムパネルラと一緒にみんなの幸せを探し求めたいと思っていたはずですが、哀しいことにカムパネルラはもう亡くなっています。

この言葉のすぐ後にカムパネルラがいなくなってしまったので、彼のこの決意が二人を分かつ決定的な瞬間だったのかもしれません。

そしてカムパネルラとの銀河鉄道の旅を終えたジョバンニは、次は現実世界でほんとうの幸せを探しに行く旅に出るのだと思います。

そう考えると、銀河鉄道は「死」だけでなく「希望」や「理想」も一緒に乗せて走っているのかもしれませんね。

違和感のある部分:夢と現実の切り替え

カムパネルラが消え、現実世界に戻ってきたジョバンニ。

急に消えてしまったカムパネルラを心配したジョバンニ真っ先に向かったのは……

まさかの牛乳屋。

私はここで「え?そっち?」と結構な衝撃を受けました。

あんなにどこまでも一緒に行こうと約束していたカムパネルラが突然姿を消したのだから、真っ先に彼の元へ駆けつけると思いますよね。

ですがジョバンニは、母親のために一目散に牛乳をもらいに行くのです。

私はこの容赦ない現実への切り替えがものすごくリアルだなと感じました。

あんなにキラキラしていた世界を旅していたのに、急に日常に引き戻されるというか。

そして牛乳をもらって家に向かう途中で、ジョバンニはカムパネルラが友達を助けるために川に飛び込み、まだ見つかっていないことを知ります。

そこからのカムパネルラの父親の言動もなかなかにシビアで。

「もう駄目だめです。落ちてから四十五分たちましたから。」

と、キッパリと言い放つんですよね。

息子が亡くなったにも関わらず、冷静で淡々としている姿にはとても違和感がありました。

もちろんこの場面は<哀しい気持ちをグッと堪えて、気丈に振る舞う父親を演じていた>というポジティブな解釈もできると思います。

あるいは<助かる見込みのない息子を捜索するために、他人の命まで危険に晒すわけにはいかない>という大人な判断とも言えるかもしれません。

それでも私がこの場面をネガティヴに受け取ってしまうのは、カムパネルラの中で父親の存在が薄いのかな?と感じる場面が多々あったから。

銀河鉄道に乗っている時、カムパネルラが

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」

「ぼくはおっかさんが、ほんとうにさいわいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」

と仕切りに母親を気にする場面が描かれていますが、父親に対しての発言は一回たりともないのです。

カムパネルラと父親がどのような関係性だったのかは分かりかねますが、お互いの心が噛み合っていないような気がして少し切なくなりました。

夢の世界ではキラキラしたものをたくさん詰め込んでいるにも関わらず、このように現実世界では結構残酷な描写も多くて。

そのギャップがエグいなと感じつつも、興味深かったです。

印象に残っている描写

一番印象的だったのは、やはり銀河鉄道から見える風景の描写。

光り輝くりんどうの花や、水晶でできた砂、水素よりももっと透き通った水、銀や貝殻でできたようなすすきの穂など、独特かつ印象的な描写が散りばめられています。

その中でも特に印象的だったのは鉱物、宝石の数々。

本書では本当にたくさんの石ーー水晶・黄玉・鋼玉・黒曜石・月長石などが登場するのですが、宮沢賢治は「石っこ賢さん」と呼ばれていたほど石が好きだったようです。

まず鮮烈な印象を受けたのは、銀河ステーションのこの場面。

かくしておいた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは何べんも眼を擦ってしまいました。

金剛石というのはつまりダイヤモンドのことなので、一斉にばら撒かれたダイヤモンドがキラキラと輝く瞬間の美しさは圧巻でしたね。

イメージに起こすのが難しい表現も多い中、この場面はダイレクトに伝わってきました。

そして第九章でアルビレオの観測所に到着した場面の描写は特に力が入っていて。

宝石たちの輝きが生み出す幻想的なイメージがブワッと頭の中に広がりました。

いくつもの謎や違和感を内包する作品ですが、このキラキラと輝く美しい風景がやっぱり一番の魅力なのかもしれません。

まとめ

この物語は端的に言ってしまえば「親友を天国へと見送るための旅」を描いた作品なのだと思います。

ここには宮沢賢治自身の、最愛の妹への弔いの気持ちも込められているのかもしれませんね。

本書が読みやすいか読みづらいかで言ったら、圧倒的に後者です。

宮沢賢治はやはり作家というよりも詩人と言った方がしっくりきますね。

馴染みのない表現や造語も多く、頭の中のイメージがついていかずにただ文字をなぞっていくだけになってしまう部分もありました。

ただ、途中でギブアップしてしまうくらい読みづらい!というわけでもないのかなと。

読みづらい中でも耐えうる方、と言う表現が近いかもしれません。

本書は全体を通して「掴みどころのない物語」だと思いますが、これは決してマイナスな意味ではなく。

つまりは解釈が難しいということなのですが、それは宮沢賢治の作品の特徴でもある気がします。

読了後はどこかふわふわとした、何も残っていないような感覚がするのですが、そこで思考をやめてしまうとよくわからない物語で終わってしまうのかなと。

そこから一歩進んで、まずは頭の中を探ってみて下さい。

そうすると、印象に残っている場面や気になる部分、違和感などがいくつか出てくると思います。

その一つ一つに焦点を当てることで意外と解釈が広がっていくので、まずは小さいところから読み解いていくのもおすすめです。

もちろん正解があるわけではないのですが、人によっていろんな解釈ができるところが魅力でもあると思うので。

「他の人はこれを読んで何を思うのかな?」ときっと興味が湧くと思うので、読了後はぜひ感想を共有したい相手に勧めてみてください!

ちなみに『銀河鉄道の夜』は著者の死により未完の作品で、途中何度も書きかえられています。

第一次から第四次(最終形)まであり、出版社によってラストの描き方も異なっているのでそれぞれの違いを比較するのも楽しそう。

まだ読んだことがないという方は、ぜひ手に取ってみてください。

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印象に残った言葉

「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。」

 

「なにがしあわせかわからないのです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 

「どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなのさいわいのために私のからだをおつかい下さい。」

 

「僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ」

 

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺんいてもかまわない。」

 

「僕もうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

 

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」

 

「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」

この本の総評

読みやすさ
(2.0)
雰囲気
(5.0)
世界観
(5.0)
読後感
(4.0)
総合評価
(4.0)

 

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